追悼 村上”PONTA”秀一 様 /  高田 英男(レコーディングエンジニア・JAPRS会長 )

追悼
村上“PONTA”秀一 様

ポンタさん、ポンタさんのドラムを最初に録音したのはスタジオミュージシャンとしてビクタースタジオに来られた1970年代の前半と記憶しています。
アルバムでの録音は1978年六本木ピットインにて2夜連続で行われたギターワークショップVol-2ライブ演奏が最初ですね。
それからスタジオミュージシャンとしてのお仕事から、JVC国内レーベル、そして〝ポンタさん記念アルバム~PONTA BOX~7(SEVEN)”・・・
沢山・沢山ご一緒しました。

ポンタさんのドラムを叩く姿、本当に美しいのです!
ポンタさんはスタジオメインエリアでの演奏が多く、コントロール・ルームの卓前に座って録音している私から、ガラス越しにポンタさんの演奏している姿が良く見えるのですが、ステックさばきがとても優雅で美しいのです。
*私も高校時代ブラスバンドで小太鼓を学び、先輩からステックの上げ下げなど、厳しく教わりましたので、本当にカッコいいなといつも感じていました。

豪快なイメージが強いポンタさんですが、私には繊細な印象があります。
レコーディング時のプレーバックで、ドラムサウンドについて伺ってみても、音創り(音質)についてのコメントは殆ど無く、シンバルの種類やスネアドラムを取り替えてみたり、自らサウンドメイキングに取り組んでいました。更にヘッドホンのバランスについても、モニターバランスのみを少し小さめの音で聴いて演奏をしていました。楽曲が持っている魅力を如何にドラミングで表現するか、そこへの拘りは本当に凄かったです。
*PONTA BOX録音の時は、スタジオメインエリアにシンバル20枚位とスネアドラム10種類位並べ、楽曲によって選んでいる姿、今でも鮮明に覚えています。

ある時、ポンタさんと歳の話になり「高田さんは何年生まれ」・・・と聞かれましたので「1951年です」・・とお伝えしたら、ニコ~って笑い、「おい高田、俺が兄貴だからな!」
なんとポンタさんも1951年、それも1月1日生まれで、1951年生まれの中では一番の先輩なんです。その後二人で大笑いしたのも懐かしい思い出です。
*体育会系のポンタさんも好きでした。

先日、ビクタースタジオにお伺いした時、ビクタースタジオが神宮前に移転して50周年を記念した、アーティスト皆様からのメッセージボードが1階ロビーに飾ってあったのですが、その中にあったポンタさんのメッセージ「高田さぁ~ん」というコメントを見た時に、心がギュとなり、レコーディングエンジニアとして、ポンタさんと一緒に音楽制作が出来た幸せを、痛感いたしました。

もう一度、ポンタさんと音楽制作したかったなぁ・・・。

ポンタさん、有難う御座いました!

(一社) 日本音楽スタジオ協会 会長
レコーディングエンジニア  高田英男

 

 

 

 

 

 



※写真掲載にあたりビクタースタジオ様のご協力をいただきました。

インフォメーション トップへ

お問い合せは
JAPRS事務局まで

03-3200-3650