アル・シュミット レコーディングセミナー

 さる3月17日(水)、18日(木)の2日間に渡り、ポリグラム・スタジオズ(目黒区大橋)Aスタジオに於いて、セミナー特別プロジェクトの主催により「JAPRSレコーディング・セミナー '99」が開催されました。

 今年は、マイキングの名手として知られる「アル・シュミット氏」を講師に迎え、4リズムによるバンドのリズム録りからトラックダウンまでの作業工程を追いながら同氏の実践テクニックを明かしてもらいました。

 アル・シュミット氏の作業を間近に見る機会を得たことで、多少なりともアル・シュミット・サウンドの秘訣を探ることができたように思います。

本人が語ったコメントの中でアル・シュミット・サウンドの秘訣を裏付けるキーワードとなったのは、「トランスペアレンシー(Transparency)」という言葉でした。英和辞典を引くと「透明感」と訳されていますが、これは「個々の楽器や声がぶつかりあわず、たとえ重なりあっていても前後の奥行き感があるために分離して聴こえる」ことだとの説明がありました。

 今回は、セミナーに於けるアル・シュミット氏の発言を中心に、その抜粋を掲載いたします。

文責:石川 照樹(PROSOUND編集部)

●初期のスタジオ体験:アル・シュミット

 私は、7才頃からレコーディング・エンジニアだった叔父に連れられてスタジオに出入りしていました。パッチ・コードの手入れ、椅子の片付け、お茶汲みといった仕事を遊び半分で手伝っていました。当時は16インチのラッカー盤を使ったダイレクト・カッティングの時代でしたから、その削り粕を処理する手伝いもしました。このような時期を十代まで過ごした私にとって、スタジオで働くことはごく自然な選択でした。

 アシスタントになりたての頃は、コーヒーを入れたり、床磨きなどをして朝9時から深夜まで働きましたが、先輩たちの仕事を覗き込んではマイクの置き方をノートに記録していたのを思い出します。

 そんな中で、エンジニアになるチャンスは突然やってきました。ある土曜日、いつものように午前中に2、3のデモ・セッションを済ませ、午後2時にブッキングされていたデモ・セッションの準備をしていると、突然エレベーターの扉が開いて中からビッグ・バンドのメンバーが大勢降りてきたのです。何かの手違いでデューク・エリントン・バンドがレコーディングのために来てしまったのです。

 私は慌ててスタジオのボスやチーフ・エンジニアに電話をかけましたが、週末だったので誰も捕まりませんでした。仕方なくマイキングの様子を書き取ったノートを取り出し、似たようなマイク・アレンジを見つけて、それと同じようにセッティングしました。

 私は手が震えるほど緊張していましたが、デューク・エリントンがセッション中ずっと「すべて上手くいくから大丈夫」と温かく励ましてくれたおかげで、なんとかセッションを終えることができました。もちろん、人生の中で最高の出来とは言えませんでしたが、幸運にも最悪の出来でもありませんでした。

 それをきっかけにしてボスにも認められ、デモ・セッション以外の仕事も回してもらえるようになりましたが、当時はジャズ・セッションを中心にR&Bミュージックのレコーディングもたくさん手がけました。

●エンジニアからプロデューサーへの転身

 当時よく一緒に仕事をしていた「ワールド・パシフィック・ジャズ」というジャズ・レーベルのオーナーの誘いを受けて、私はLAに移る決心をします。LAでは、当時トップのレコーディング・スタジオだった「ラジオ・レコーダーズ」に入社して「RCA」の仕事を一手に引き受けていました。その後、 「RCA」のハウス・スタジオがLAに建設されることになり、私はそこの“初代ハウス・エンジニア”として雇われることになりました。

 「RCAスタジオ」では、ヘンリー・マンシーニ、サム・クック、レイ・チャールズ、アイク&ティナ・ターナーの他、クラシック音楽、カントリー・ミュージック、映画音楽などの仕事を幅広く手がけていました。そのうちにプロデューサーがスタジオをブッキングすると、私がエンジニアとして指名されるようになったのです。

 しかし、私が一緒に仕事をしたプロデューサーは、セッションの途中でいなくなってしまったり、スタジオにいても電話ばかりかけているような人達ばかりで、結局、私がプロデュースもする羽目になったのです。私が手がけたヒット・レコードには、スタジオに一度も来なかったのに名前だけプロデューサーとしてクレジットされることも少なくなかったので、「それなら私もプロデューサーに」と思ったのです。

 早速、当時のボスだったスティーブ・ショルツに交渉してみると、意外にも彼は私の希望を快く受け入れてくれました。それ以降、私は様々なジャンルの音楽を手がけ、サム・クック、ジェファーソン・エアプレーン、ホットツナ、グレン・ヤーブロー、デュエイン・エディ、アストロノーツなど、当時売れっ子だったアーティストのレコードをたくさんプロデュースしました。

 しかし、当時の「RCA」では労働組合の力が強く、プロデューサーが機材に触れることが禁じられていたのです。その結果、私は7年間もエンジニアの仕事から遠ざかることになりました。しかし、1970年代初頭、私の親しい友人だったプロデューサーのトニー・リプーマからアルバム・ミックスの仕事を頼まれたのがきっかけで、エンジニアとして復帰を果たすことになったのです。最初は、しばらくエンジニアをやっていなかったので自信がなかったのですが、彼に励まされて、その仕事を引き受けることになりました。

 エンジニアとして復帰を果たすきっかけとなったそのアルバム・タイトルは、デイヴ・メイソンの『アローン・トゥゲザー』です。 この作品は、音的にも上手く出来ましたし、商業的にも大きな成功を収めました。この作品によって、私にとって“エンジニア”という仕事がいかに重要なものであるかを改めて知り、それを境にエンジニア/プロデューサーとして数多くの作品を手がけるようになりました。

 その後、私の人生を大きく変えることになった作品が、ジョージ・ベンソンの「ブリージング」です。私が録音とミックスを手がけたこの作品は爆発的なヒットを記録し、アルバム・オブ・ジ・イヤー、レコード・オブ・ジ・イヤーを含む8部門でグラミー賞を受賞しました。その後の私の人生は、休む暇もないほど忙しい日々となりました。

 今の私にとって、心から楽しめる仕事は、“ジャズのレコーディング”です。ダイアナ・クレル、ダイアン・シュア、ジョー・サンプルのように4、5日でレコーディングして2、3日でトラックダウンするような仕事が気に入っています。

●レコーディング・セミナーにみるアル・シュミット氏のマイク・テクニック

 アコースティック・ピアノには、新しい 「ノイマンM149」を使い、2本を単一指向性にして立てています。値段は高価ですが、出力レベルが高くノイズの低い素晴らしい マイクです。個人的にも5本所有していて、ピアノの収音以外にルーム・マイクとして使ったり、アップライト・ベースにも使用することがあります。

 リズムセクションをバックに従えたソロ・ピアノのレコーディングでは、ドラムかピアノのどちらかをアイソレーション・ブースに入れ、アビエンス用にステレオ・マイクの 「AKG・C24」をピアノに追加することもあります。ピアノに使用するこれら4本のマイクは、別々のトラックに録音してミックスの時に混ぜます。

 今回使用しているこのピアノ・カバーは遮音性が高く、LAで私がよく使うスタジオにも置いてあります。ピアノの弾き語りを録る場合、歌を間違えたり、ピアノの演奏ミスがあった時にピアノとヴォーカルを一緒にパンチインするよりも、ピアノだけを差し替えたり、ヴォーカルだけを差し替えられるように、できるだけヴォーカルとピアノをアイソレートします。そのような時に役立つのが、ここで使用しているピアノ・カバーですが、時には遮音効果を高めるために2枚を重ねて使うこともあります。

 ベース・ギターには「アヴァロン」のDIボックスを使用しています。これも素晴らしい製品ですが、LAで仕事をする時は「デメター」のチューブDIボックスをよく使います。アメリカでは、スタジオ・セッションでベース・スピーカーを持ち込むことはほとんどなくなりましたが、今回はプレイヤーの方がベース・スピーカーを持ってきてくれたので、それをアイソレーション・ブースに入れました。ベース・アンプに使用しているマイクは、「U47fet」です。もしアップライト・ベースがある場合は、「M149」か「U47」のチューブ・マイクのいずれかを使用します。

 ベース・ギターのシグナルは、マイクプリアンプを通った後、コンプレッサーに入っていますが、これは音を通すことで色付けを得るために使用しています。コンプレッションをするとしても1dBか0.5dBぐらいで す。基本的に、私はコンプレッサーもEQもほとんどかけず、音決めに関してはマイク・テクニックで調整するようにしています。特にヴォーカルのコンプレッションに関しては、むしろフェーダーの上げ下げで調整する、いわゆる“ハンド・コンプレッション”をよく使います。

 エレクトリック・ギターは、ギター・アンプに「SM57」を立てています。私としては「ショップス」や「B&K」のようなクオリティの高いマイクを使いたいのですが、多くのギタリストの方が「SM57」のサウンドを気に入っているのでこのマイクを使うようになりました。

 ドラム用に立てた2本のアンビエンス・マイクは、「ノイマンM49」のヴィンテージ・マイクを無指向性で使っています。また、キックには「AKG・D112」を立てていますが、その理由は“このマイクで録ったキックの音が好き”だからです。ただ、ドラム・チューニング、ドラム・プレイヤー、部屋の響き、曲の内容によっては、キックにオフ・マイクを追加することもあります。

 タムタムには、4本の「414」を立てていますが、エンジニアによっては「57」を好む人もいます。「414」には10dBのパッドを入れています。オーバーヘッドには、「ノイマンM147」を使っていますが、これも素晴らしいマイクです。他にも「AKG・C12」や「451」を使うこともあります。

 スネア・トップとハイハットには「C451」を使い、通常は10dBのパッドを入れますが、ドラマーの演奏音が大きければ20dBのパッドを入れることもあります。スネア・ボトムには「SM57」を立ててコンソールの位相反転スイッチで逆相にします。プレイヤーやスネアの音によって多少アタック感が欲しい場合は「SM57」を足します。

 「SM57」は、できる限り別トラックに録音しますが、トラック数が足りない時にはスネアのトップとボトムを混ぜて同じトラックに録音します。ただし、ジャズ・セッションではボトム・マイクは使用しません。

●アルシュミット・サウンドの秘訣

 複数の音が同時に鳴っていても、それぞれの楽器や声がぶつかりあわず、奥行き感があることを“トランスペアレンシー”(以下、透明感と訳す)といいますが、これは私にとって最も重要な要素です。この透明感は、ミックスで作り出せるものではなく、“マイク・テクニックによってしか得られない”ものです。私はEQもコンプレッションもほとんど使いませんし、エフェクターもそれほど多用しません。すべてはマイク、そしてエコーの使い方にかかっているのです。エコーに関しては、できるだけたくさんのエコー・チェンバーを使うようにしています。

 LAの「キャピトル・スタジオ」には8つのエコー・チェンバーがあり、特に私が気に入っているのは「エコー・チェンバー NO.4」です。その部屋は、シナトラ、ディーン・マーチン、ナット・キング・コールの時代から利用されています。

 当時の「RCAスタジオ」にも8つのエコー・チェンバーがあって、私はその中の5つを使っていました。それぞれの部屋を左、右、センター、左中、右中に使っていたのですが、それぞれ独立したエコー・チェンバーを使い分けることで透明感を維持できるようになります。なぜなら、同じエコー・チェンバーにすべての音を送らないようにすることで音が飽和せずに透明感が保たれるからです。

 私は新しい機材にも興味があり、最近特に気に入っているのが「TCエレクトロニック」の「M3000」です。もちろん、古い機材も活用しています。なかでも「EMT250」は必ずといっていいほどヴォーカルに使っています。しかし、大切なのは“私がどのような使い方をするか”ではなく、“自分の耳でよく聴いて自分なりの使い方を工夫する”ことです。

 私がスタジオでレコーディングするときに常に心がけているのは、必ずスタジオの中の音を自分の耳で確認することです。これがとても重要なのです。なぜならスタジオの響きが分からなければ、どこにマイクを立てるかも分からないからです。マイク・ポジションというのは非常に微妙なもので、僅か2cm動かしただけでも音は変わりますし、単一指向から全指向に変えただけでも音は変わります。それともうひとつ、私は決して安いマイクを使いません。常に最高のクオリティーを持つマイク、特にヴィンテージのチューブ・マイクをよく使います。その理由は、これらのマイクは“カブリの音”さえも素晴らしいからです。これが透明感を保つ上でとても重要なのです。

 私のサウンドに奥行き感や透明感があるというのは、そのようなサウンドが得られるようにマイクの種類やポジションを工夫しているからです。これまでの長年の経験によってどのマイクをどのポジションに置くかは分かっていますから、あとは音を聴いて調整をするだけです。調整といってもほんの2cmほどマイクを動かすだけですが、それが大きな違いを生むのです。

 私がエンジニアになったばかりの頃は、2トラック・モノラルの時代で一発録りが常識でした。ですから、その場ですべてのバランスをまとめられるテクニックを身に付けることが必須でした。そのためには“カブリをいかに活かすか”がとても重要な鍵になるのです。このような時代にエンジニアの基礎を学べたことをとても幸せに思います。その時に学んだマイク・テクニックやエコーの使い方は、ミックスで手直し出来ないことが前提になっていて、それが今でも私のエンジニアリングの根幹にあるのです。

 このことについては、素晴らしい録音技術を教えてくれた当時の優れた先輩エンジニア達にも感謝しています。偉大なエンジニアだった私の叔父やトム・ダウドのような人達から技術を学んだことで正しい知識を身につけられたことを本当に感謝しています。